親父にとにかく描かされたなあ。本当はどうだったんだろう・・・・気がついたら、いつの間にか絵を描くのが好きになっていた。

子供の頃、親父にデッサン〜模写・水彩画・油絵・ペン画・木版画・ついでに?書道などを教えてもらった。

 

こういう絵も描けなければいけないと言って、『忍者武芸帳』を模写させられた。そのうち、模写が面白くなって、『のらくろ』・『タンク・たんくろう』もよく書いていた。ある時、エッシャーの絵を見て、感動して、やっぱり、模写した。それから、ペン画が面白くなった。どんな絵もペンで書いてた時期もあった。

3年生で油絵を描いた。母の肖像画と風景画を書いたことを覚えてる。絵の具を盛り上げるもが楽しかった。

 

5年生で版画を彫った。すごく大きな版画で、彫るのは大変だった。棟方志功さんはすごい人だと知った。

6年生の時、水彩画で賞をもらった。
「多摩川をきれいにしよう」というニッポン放送のキャンペーンに参加して、川の風景画を描いた時だ。
自分では、すごく汚い川の絵になってしまって、失敗したように感じながら提出した。評価は、川の色使いがいいと言われた。
へえ、不思議なものだと思ったが、うれしかった。その絵は玉川高島屋に展示され、いっぱい、ニッポン放送から商品をもらった。
またこの頃は、クラス新聞のさし絵やオリジナルマンガも描いていた。

でも、ここから、あまり絵を描かなくなった。
野球に夢中だった。
僕は描くことを忘れた。うまく思った色が出せなくて、すごく色が嫌いになって、やめた。

僕はリアルな絵を描くのをやめて、色のはっきりしたポスター画を描くようになった。

クラブ活動で野球ばかりやっていたので、普段は絵が描けないから、試験前のクラブが休みになった時に大きなポスターを描いた。だから、試験の結果はあまり良くなかった。でも、大きな絵は、決まって完成できた。

今は、ほとんどの絵がPHOTOSHOP頼りになってしまった。
自分で描かないといけないと思う。そう思って、本当にたまに、時々思い出したときに描く。
やっぱり描いていないと、どんどん下手になる。