22才の時、初めて調理場に立った。もちろん、皿洗いから出発だ。六本木の「FRIDAY」という流行りの店で、夕方から朝まで働いた。調理場は、何もかもが面白かった。チーフがキャベツまるまる一個の千切りを鮮やにやってみせてくれた。「やってみるか?」と言われて、躊躇なく「はい」と言って、包丁を振った。スパッ、スパッと気持ちよくキャベツが切れた。「うまうもんだろ」と思った次の瞬間、指の皮膚を見事に削いだ。痛かった。油断は禁物だと思った。その傷が癒える頃から皿洗いの暇に料理の作り方を横で見ながら覚え、自分の賄いを作る時に試した。料理はイメージを現実化するという行為、スポーツと同じだと思った。
それから、いろいろな料理本を買って、家で研究して作った。イタリア料理は僕に馴染んだ。素朴で、限りなくアレンジの出来るトマトソースに僕はぞっこんだった。パスタも面白いほど、種類があって飽きない。さながら、ブロックで遊ぶ子供のような気分でよくパスタを調理台の上に並べて眺めた。僕にとって、調理場は自分の好きなことをしてお金がもらえる天国のような所だった。4件のレストランの調理場を渡り歩いた。それぞれで、いろいろな調理方法を学んだ。
やがて、ひとつわかったことがあった。お袋の味にはかなわない。僕の作る料理は、微かに舌にある、あの味からどうしても抜けられない、それのアレンジに過ぎないんだなって。誰にでも懐かしい味の料理を作れることが僕の目指す料理になった瞬間だ。
イタリア料理ともう一つ大切な料理は、カレーだ。
僕の作るカレーには二人の母親がいる。ひとりは本当の母で、もうひとりは、京都の「ガラム・マサラ」というカレー屋さんのお母さん、永原静江さんだ。このお母さんの作るカレーは雑誌やテレビでも幾度となく紹介されているもので、うまいのは当たり前だが、それより、お母さんの人柄がいい。いつも一生懸命働いて、豪快で、なおかつ優しくて、京都の人らしくもあり、どれも僕を引きつけてしまう魅力的な人だ。まあ、京都に行ったら是非お試しあれ。
2010年、僕の大好きな「ガラム・マサラ」のお母さん、永原静江さんは、他界してしまった。今は、お嬢さん、息子さんがしっかりとその味を引き継いで毎日カレーを作っています。京都に行ったら、必ず、お邪魔しますからね!!