観客を劇的世界へいざなう。このプロセスを作るのも面白いものだ。

ひとりではできない、集団の作り出す裏側の芸術。

観客は、幕開きの瞬間にまず、この裏の芸術家たちに魅了される。


 

主な舞台監督作品

 

 

港北ダンスフェスティバル
 
(2022年 横浜市港北区/港北公会堂)

 

NHK東京児童劇団公演
 
(2019年 )

 

港北区民ミュージカル
 
(2019年 横浜市港北区/港北公会堂)

 

港北ダンスフェスティバル
 
(2019年 横浜市港北区/港北公会堂)

 

NHK東京児童劇団公演
 
(2018年 )

 

港北区民ミュージカル
 
(2018年 横浜市港北区/港北公会堂)

 

港北ダンスフェスティバル
 
(2018年 横浜市港北区/港北公会堂)

 

NHK東京児童劇団公演
 
(2017年 )

 

港北ダンスフェスティバル
 
(2017年 横浜市港北区/港北公会堂)

 

NHK東京児童劇団公演
 
(2016年 )

 

港北ダンスフェスティバル
 
(2016年 横浜市港北区/港北公会堂)

 

港北区民ミュージカル
  「ウロボロス 創世記」
(2015年12月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

NHK東京児童劇団公演
 
(2015年 )

 

港北区民ミュージカル
  「ウロボロス」
(2015年1月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

NHK東京児童劇団公演
 
(2014年 )

 

港北ダンスフェスティバル
 
(2013年11月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

NHK東京児童劇団公演
 
(2013年 )

 

港北区民ミュージカル
 
(2013年1月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

港北ダンスフェスティバル
 
(2012年11月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

港北区民ミュージカル
  「ミラクルアイランド」
(2012年1月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

劇団目覚時計
  「やさしいライオン」
(2011年1月 境町中央公民館)

 

港北区民ミュージカル
  「かくも賑やかな人々」
(2010年12月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

劇団目覚時計
  「語りと音楽のファンタジア」
(2010年9月 国立オリンピックセンター記念青少年総合センター大ホール

 

港北区民ミュージカル
  「フランベ」
(2009年12月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

港北区民ミュージカル
  「OMUNIBUS3」
(2009年4月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

港北区民ミュージカル
  「OMUNIBUS2」
(2007年12月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

秋浜悟史を鎮魂する会公演
  「妖怪たち」
(2007年12月 早稲田大学小野梓記念講堂)

 

2007年劇団民藝
平成19年度文化庁国際芸術交流支援事業
後援/日本中国文化交流協会
日中合同公演
 『双城冬季 -家路-』
(2007年5月 劇団民藝稽古場)

 

港北区民ミュージカル
 「オムニバス」(2006年12月 横浜市港北区/港北公会堂)

 

太田青年会議所主催
  「サウンド・オブ・ミュージック」
(2006年8月 群馬県太田市)

 

 

港北区民ミュージカル
 「桜さくら弥生の空は」
(2005年12月 横浜市港北区/港北公会堂)

う〜ん、いろいろと無理して、演出から舞台監督までやってしまいました 。
正直、劇場条件のいい劇場ではないので、苦労しました。
一間張り出し、5台のワゴンの転換にスタッフのみなさん、ご苦労様でした。
セット、ありがとう、えみちゃん!

また、22Chの調光卓で、マッちゃん、八重ちゃん、ご苦労様でした。

音響も大変だったよね。
いつも、わがまま聞いてくれてありがとう!
「フリーランス・オフィス」の博君、
冗談を聞き流してくれてありがとう・・・・岸ちゃん。
踊りまで披露してくれた鈴木くん、ありがとう!

 

神奈川区民ミュージカル
  「浦島伝説」
(2005年8月 東神奈川/かなっくホール)

 

マリオネット
 「日色ともゑとマリオネットの朗読と音楽」
(2004年6月)

 

父子杉上演実行委員会
 「父子杉」
(2003年秋〜)

高知の方々が、手作りで立ち上げた企画。
失われつつある日本の自然、山の木々を 考える。
人間が生きるためには、自然との共存が必要であることを感じる作品。

山本一力さんの原作を、日色 ともゑさんが朗読。
音楽は、 日本フィルの大川内弘さんがバイオリン(工藤真菜さんも途中参加)、高木雄司さんがチェロ、
マリオネットが担当し、演奏する。

 

マリオネット
 「日色ともゑとマリオネットの朗読と音楽」
(2001年秋〜)

「何でも屋の潤一郎なら、どんな所でも対応するであろう。」と、日色さんは声を掛けてくださったに違いない。
実際、劇場から集会所まで、あらゆる所で公演をしてきた。なかなか面白い仕事でした。